執筆者 : 貝原 吉記
県西支部では、毎年1回、研修と会員間の親睦を深めることを目的として、支部旅行を企画・実施しています。
今年は、3月17日(土)から18日(日)にかけて約20名が参加し、東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館とハンセン病患者の国立療養所多磨全生園を訪れました。
国立ハンセン病資料館は、平成5年に「高松宮記念ハンセン病資料館」として開館しましたが、らい予防法違憲国家賠償請求事件の熊本地裁判決を受け、平成19年に国立の施設として規模を拡大して再開館しました。
ここでは、ハンセン病の歴史や医療に関する展示物、記録映像、ハンセン病患者の語り部による講話等で、ハンセン病に関する正しい知識を身につけることができます。
多磨全生園は、明治42年、公立の全生病院として開設され、それ以来ハンセン病患者の隔離施設となっていました。
国によるハンセン病患者に対する隔離政策が廃止された現在でも、約170名の方々が入所されています。
私たちは、まず、国立ハンセン病資料館で、ハンセン病患者に対する偏見や差別の歴史を学びました。
ハンセン病患者に対する差別は古くから世界中で存在し、その理由は時代や地域により様々でした。しかし、ハンセン病患者が偏見にさらされる共通の主な理由は、ハンセン病の後遺症として、顔や手足の変形といった見た目に大きな影響を受けることにあったのではないでしょうか。
ハンセン病に対する医学的解明が進んだ後も、患者に対する強制隔離政策を定めたらい予防法が平成8年まで廃止されなかったのは、こうしたハンセン病特有の後遺症に対する国民の偏見が払拭されていなかったからだと思います。
また、ハンセン病患者は、らい予防法と同じく平成8年に廃止された旧優生保護法により、優生手術や人工妊娠中絶の対象となっていました。近年まで、我々が優生思想に疑問を抱いていなかったためと思われます。
私たちが見た記録映像の中で、ハンセン病患者の一人は、私たち国民一人一人が「加害者」であると断じておられました。
そして、今も、旧優生保護法による人権侵害に対して、法的救済はなされていません。
多磨全生園は、所沢街道に面しており、中心部にある入所者の居住スペースを囲むように資料館や公園、野球場等が付設されていて、園の外には閑静な住宅街が広がっています。
公園や野球場は、一般の方も利用が可能で、お花見の時期には公園に1万人以上の花見客が訪れるとのことです。
かつて、多磨全生園では、隔離されていたハンセン病患者に対し、暴力や強制的な断種、堕胎等の人権侵害行為が行われていました。
現在の園の周辺環境からは、ここで、ハンセン病患者が過酷な迫害を受けていたことを想像することはできません。
今も全生園で暮らされている方々は、花見の賑わいや野球場からの歓声をどのようなお気持ちで聞かれているのでしょうか。
私たちは、1時間ほど、思い思いに園内を散策した後、バスに乗って、多磨全生園を後にしました。
弁護士には、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」使命があります。
今回の研修は、「基本的人権」や「社会正義」とは何かを問う上で、自らの価値観を見つめ直すための貴重な機会となりました。
次回の支部旅行でも、一人でも多くの参加者とともに、こうした体験を共有できればと思います。
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